真っ白。
目の前に迫るものは真っ白と言う他ない。
真っ白と聞けば、清潔、光、希望を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、高校生にとって、真っ白とは黒より何も見えない、答えの分からない暗雲とも呼べる。
そんな無意味な思考が巡るほど、目の前の白紙に打ちひしがれるしかなかった。
「何か夢はないのか?」
怪訝そうな眼差しで俺を見つめるワイシャツ姿の男はそう切り出した。
机に置かれた紙をトントンと指先で叩き、考えた痕跡すら見えない空欄を強調するように俺に問いかける。
「何も浮かんでこなくて….」
どもる俺の言葉に教師はなだめるような目つきになる。
「何かなりたいものはないのか。できること、長所・短所、性格、考えられるヒントはたくさんあるぞ。趣味でも良い」
そう言われても….と口に出したい気持ちを抑え、項垂れて真っ白な紙を見つめるしかなかった。
進路希望調査書。
そう書いてある紙に、俺は未だ向き合えずにいた。
進学か就職か。
進学なら希望先はどこか。大学なら学部は。はたまた、勉学を離れて就職なら希望職種は。
そんな誰しも必ず向き合う問いに答えを出せずにいた。
俺には夢がない…..。
みんながそう思うわけではないだろうが、俺はそうだった。
夢を追い求めた矢先に現実を見て目指すのを止める。そんな感じである。
それから考えるのが嫌になって、夢を考えるのをやめた。高校も偏差値で決めた。部活はめんどくさいので入ってない。休日にやることはゲーム、漫画、アニメ、読書。たまにグッズ購入、それくらい。バイトは禁止なのでできないし。
今までは勉強が忙しいからとテキトーな言い訳をごねて、夢と言うものを考えないで来たが….どうやら、今回は逃げられそうにない。
そんな俺は教師の質問を前にありきたりな答えしか持ち合わせていなかった。
「お金をたくさん稼いで楽して生きたいです」
教師はふっと微笑すると、俺に答える。
「先生も教師やってて、いつもそう思うぞ。お金をたくさん稼ぎたいなら、まず学歴が必要だな。学歴があれば、良い企業にも就職できる」
進学。これは魅力的な選択肢だ。俺の偏差値は中の下くらいで、進学できないことはない。大学生活は人生の夏休みと言われるほど、時間がたくさんあるのも大学生の姉から聞かされていた。でも、行きたい大学・学部も思いつかない。とってつけたような大学に行っても、時間こそあれど、お金は梅雨に消えそうだ。何より、学びたくないものを嫌々学びたくない。それに学びたくないのに進学のために、我慢して受験勉強するなんて、さらに馬鹿らしい。
そんな思いを教師に述べる。すると、教師はなるほどな、と一言置いて呟いた。
「奏、一度自分の進路に向き合ってみろ。締め切りは今日までだったが、もう数日やるから何か見つけてこい。まだ時間があると思ったらあっという間だぞ」
教師から白紙を手渡される。何も返す言葉はなかった。受け取り拒否したかったが、その通りでしかない。
「考えてみます、今日はありがとうございました」
問題を先送りしたようなざらついた感触を胸に白紙を持って、俺は職員室を後にした。
帰り支度をすませ、運動部の掛け声が響く校舎を後にし、家路に着く頃には日が暮れていた。
進路希望調査書のことで引っかかる気持ちを紛らわそうと道中スマホゲームに興じつつ、帰宅した。
玄関を開けると家の中は真っ暗。ただいま、と言う相手はいない。と言うのも父親は単身赴任で、母親も仕事をしており、帰ってくるのが遅い。姉は大学進学後は一人暮らしをしている。だから、帰宅後はいつも一人だ。
母親が帰ってくるまでは自室に篭ってゲームをして、夕食を待つのが常だ。しかし、今日は違った。ピロンと入ってきたメールには「今日は遅くなるから先にご飯食べて」と母から一言。
分かったと返事をすると、冷蔵庫に入った余り物と作り置きをチンして、スマホでアニメを見つつ、ご飯を食べる。最近見るアニメは異世界ものが多かった。
「俺もこんな才能やチートがあったらな….」
異世界ものは主人公が成り上がったり、チートだったりで無双していく物語が多い。俺はいつも創作を見て思うことがある。それはゲームや漫画の主人公はチートだけでなくて、努力で突き進む物語も多いが、結局は特別な血筋だったり、周りの環境に恵まれていたり、出会いだったり、運命に恵まれている。それに才能がある。しかし、現実にはそんなものはない。俺にはとても凄い師匠がいるわけでもなく、家族がとても著名人と言うこともない。いきなり美少女に告白されることもなければ、異世界転移することもない。努力が報われるばかりではなければ、面白い物語が始まる運命の悪戯のような出会いもない。あるのは、お金、学歴、才能、何も変わらない日常、こんなことばかりだ。
そんな進路希望を超えた現実に対する鬱憤をぶつけるようにアニメを見ながら、ご飯を食べ終えるとさっさとシャワーを浴びて、自室に戻った。
寝る前はゲームをよくするが、今日は何もしたくなかった。自室に入るとすぐ、ベットに横たわる。愚痴と心配が渦巻くぐちゃぐちゃした思いを押し殺し、テキトーなアニメを見ながら、目を瞑って寝た。
そうして何かがあるのか。いや、そんなことはない。翌日もまた、何も変わらない日常が始まる。朝食を食べ、高校に行き、授業を受けて、昼飯を食べて、テキトーに昼休みを過ごして、また授業を受けて帰る。進路希望と言う問題がいつの間にか無かったのような日々が続く。
そんな日々を過ごしていると教師から呼び出され、白紙から何も変わらない自分に喝を入れられ、教室で居残って、色々考えろと言い渡される。
白紙のままでは帰れないなと惰性になって、白紙に「進学」と書いてみた。どこにも行きたいと思わないのに。自分の偏差値に合うような大学と学部を探して、理由もなく書く。
「これでいいか」
確かに白紙は埋まった。理由欄はないし、これで提出さえすれば良い。もし何か聞かれたら、テキトーな後づけをすれば良い。だが、なぜか提出する気は起こらなかった。
夕焼けが差し込む一人だけの教室で窓の外を眺めると部活に勤しむ同級生の姿があった。あんな大変そうな練習が楽しいのだろうか。スポーツが楽しいのだろうか。俺も中学は運動部に入っていた。だが、俺には運動神経というものが皆無だったので、スタメンにも入ったことない。いつも上手くいかない自分の姿を見て、落胆するばかりだ。キラキラと光る彼らを見まいと視線を逸らす。
「じゃ、得意なこと、好きなことを夢にしてみるか…」
ゲーム?読書?まあ、それくらい。しかし、楽しむ程度で、稼ぎにできるようなことはない。プロを夢見ても諦めるオチに決まってる。
では、他に何かしてきたことは。
ない。
では、何か今までに実績は。
ない。
では、何か誇れるものは。
ない。
では、俺に何ができるのか。
そんな帰結に至りつつあった。周りの人は何か頑張っているものがある。けど、俺はない。頑張りたいと思えるものも、俺にはない。
「俺には何もない」
大学に行けば、俺は変わるのだろうか。時間が変えてくれるだろうか。目標もないが、とりあえず勉強して、大学に行けば、何かあるのだろうか。俺には何があるのだろうか。
あれほど書けなかった白紙がようやく埋まったはずなのに、進路希望調査書を破り捨てたくなる。
何も考えたくなくなり、進路希望調査書をとりあえずは提出しようと教室の扉を開いた時だった。
「ねえ、そのままで良いの?」
声が聞こえたような気がして、瞬間振り向くが誰もいなかった。
「幻聴か。よっぽど、考えたくなかったんだな」
ストレスが溜まっているのか。とにかく提出すれば、もう考えなくて良い。そんな思いで再度、教室を出ようとすると
「見て見ぬふりかい?よく見てよ」
振り向くと、教卓の上に5歳児ほどの背丈に白い羽が生えた少年が座っていた。もちもちのとろけるような白い肌にくるくるとパーマがかかる金髪、大きな碧眼はこちらを見て離さない。頭の光る輪っかは己が何者であるかを一目で表していた。
「天使….あ、俺は夢を見ているんだな」
とうとう頭がやれたか。そう思うほかない。目の前の少年にホラーを覚えるどころか、こんなに悩めば天使も出るかとショートしていた。こちらが何かを問う前に天使らしき少年は教卓の上で足を組みながら我がもの顔で呟いた。
「ようやく見えたか。まあ、一旦座りなよ」
俺の動転とは裏腹に、天使の口調はまるで友人のように穏やかだった。もうどうにでもなれ、と思った俺は何か問う気も失せて、近くの席に座った。
「うん、君は意外と適応力があるね。僕が何者なのか聞かないのかい?」
「いや、天使でしょ。俺の命日が迫っているから迎えにきたとか」
「素っ気ないな。もっと驚いても良いのに。讃えても良いんだよ」
天使は少し残念そうに眉を潜める。半ば放心状態で座る俺を尻目に天使は続けた。
「僕はね、君のことが見ていられなくて来たのさ。前からずっと様子を見させてもらってたんだけど、そりゃーもう、ひどいね。守護天使した中でもワーストかも」
おい、天使だから慰めてくれるのかと思いきや、いきなりのパンチじゃねえか。
「だってさー、教師や周囲にもあんだけ時間と機会もらってて考えないわけ?まあ、確かに色々思うところはあるかもしれないけど、考える気が感じられないよね」
おいおい、傷つくような事ばかり言うじゃねえか。天使じゃなくて、こいつ悪魔なんじゃないか。涙出てきた。そんな思考を巡らせていると急に塩らしい顔になって、天使は呟いた。
「でもね、君。諦めたらダメだよ」
こんな妄想にも幻覚にも感じられる天使だったのに、なぜかその一言は心に感じるものがあった。真剣になった顔つきに動かされたのだろうか。真面目に付き合うまいと思っていた俺の口がいつの間にか開いていた。
「諦めるなって言われても、どうしようもないじゃないか」
「どうしようもないって何が?」
「言わなくても分かっているんだろ。幻覚ならさっさと消えてくれ。もう俺は考えたくない。ゲームをするために帰りたいんだ」
天使は大きくため息を吐き出した。俺が一番嫌いな部類のため息だった。そういうため息は虫唾が走る。やれやれ顔にイライラしてきていた。
「バカにしているようなら、俺は出ていく」
席を立ち上がって、帰り支度をしようとすると天使は言った。
「君、そんな風に生きてて楽しいかい?」
剣で胸を突かれたような感覚だった。イライラしていたはずなのに、何かえぐられるような気分になる。
「どう生きようと勝手だろ」
「そうかな。君のその手の紙はさ、何?書けなかったんでしょ?」
「いや、書いた。書いたよ」
「そうかな。その紙に書いてあるのが、君の進路希望っていうのかい?よく見てみなよ」
知っている。希望でもない。俺がよく分かってる。でも、妙にいいようにされたくなくて、見たくもない進路希望調査書を軽く見て、天使に一言。
「そうだよ、これが俺の希望だよ。悪いか。」
「そうか。それなら、僕は言うことはないね。けど、本当にそうかい?」
言い返してやろうと思ったが、言葉が出てこなかった。取ってつけた進路希望調査書にこれ以上弁護する言葉がなかった。黙って俯くしかなくなった俺に静寂が続く。天使は矢継ぎ早に責め立てることなく、静寂に身を任せていた。何も言わないのか。俺がどうしろって言うんだ。
それから数刻の後、いたたまれない雰囲気の中、通り過ぎる微風のように天使はそっと言った。
「本当のことを言ってごらんよ」
その言葉を聞いた時、いつの間にか涙が出ていることに気づいた。幻覚を前に何をやっているんだ。だが、堰き止めていたダムが決壊したように涙が止まらなかった。口から出る言葉を制することはもう敵わなかった。
「本当は俺……何もないんだ。夢も希望もできることも…..。たしかに大学へ進学したら、何か変わるかもしれない。けど、学びたいものがないんだ」
臆面もせず本心を語った。それを聞いた天使はうんうんとうなづくと、教卓からぴょんと飛び降りた。そして小さい背丈で俯く俺の前に立つとビシッと指先をこちらに向けた。
「それはね、作ってないからだよ。『自分』を作ってみたら良いんじゃない?」
桜が散ってまもない頃。これは高校2年生の夏。進路希望調査で悩む俺と謎の天使ツクリエルの不思議な出会いだった。


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